【小倉隆史】名古屋グランパスJ2降格の原因を作った過去を作った男の生き様はコチラwww

歴史
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名古屋グランパスファンは、毎年降格圏内をウロウロする結果に、「また今年もか・・・」と思って昨シーズンは終了しました。

ハラハラドキドキでした。(優勝争いでハラハラしたい)

しかし、まだ降格しないだけましかもしれない。

この名古屋が弱いという流れを作った人物がいる。

それは、小倉隆史だ。

2016年シーズンに名古屋グランパスの監督兼GMとして就任。

そして、降格してしまった。

あの降格を決めた湘南ベルマーレとの試合は一生忘れない。

私はあのピッチで応援していたサポーターの一人。

悲しかった。

あの時のグランパスのチームスローガンは「信頼」。

完全にサポーターを裏切ってるから怒りが倍増していました。

「5人目まで連動するサッカー」という信念の元、監督をしていましたが、サポーターは5枚目ってどれだ?と思って見ていました(# ゚Д゚)

そんな、小倉隆史氏。

現在は何をしているのか。興味が出てきたので調べてみました。

現在は、スポーツディレクター兼アシスタントコーチ

現在は、東海社会人サッカーリーグ1部に所属するFC.ISE-SHIMAのスポーツディレクター兼アシスタントコーチ。

やはり、サッカーに関わっている姿には「すごいなぁ」と思うばかりです。

この、FC.ISE-SHIMAというチームは聞きなれないと思いますが、前身はピクシーBCというチームでした。

2012年まで三重県リーグ1部に所属している。

しかし同年、志摩市商工会が地域活性化の具体案を協議を行う「志摩経済サミット」で、地元伊勢市出身の元サッカー選手である中田一三氏が、スポーツと自然環境を生かす町づくりを提案。

これを受ける形で、2013年にピクシーBCを引き継いでFC.ISE-SHIMAが設立されたという歴史あるチーム。

そこで、小倉氏は頑張っています。

選手としては一流の小倉氏は、やはりグランパスの監督をするにも経験が必要だったということかもと今になって思います。

降格の時期は「あのやろー」としか思わなかったけど、今頑張っている姿はすごくいいなぁって感じます。

四中工時代の小倉氏の活躍

グランパスファンであるため、最初はヒートアップしましたが、四日市中央工業サッカー部での試合は凄かった。

1991年の全国サッカー選手権大会での決勝。

帝京高校との試合は本当にすごかった。

四中工三羽鳥と言われた、「中西永輔」「田中一三」がおり、高校卒業後プロサッカー選手になっています。

オランダに渡って、エクセルシオールでリーグ31試合に出場。14点を叩き込み勢いが出てきた頃に、怪我してしまって。

A代表に選ばれてゴールも決めていたのに怪我してダメになってしまって。

小倉氏を語る際にしばしば「悲劇」という形容詞が付けられるようになったのもこの頃から。

天才をほしいままにしていたのに、怪我に泣かされた選手時代でもありました。

楽しんでいる小倉のサッカーはいい顔をしています。

まとめ

現在の小倉氏は、三重で頑張っています。

グランパスファンも降格は過去のことですので、「いい体験だったなぁ」って思うようにしましょう。

そして、今シーズンをいい結果になるように精一杯応援をしましょう!

 

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